2013.12/Myojo『裸の時代』10000字ロングインタビュー:有岡大貴②

 

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年上ふたりの力が足りない

—2007年、有岡くん、高木くん、山田くん、中島くん、知念くんで、期間限定ユニットとしてHey!Say!7が結成されてるよね

「KAT-TUNのコンサートのリハをしてたとき、ジャニーさんに呼ばれて、”ユーたち、Hey!Say!7だから”って言われて。なんか不思議なメンバーだなって思いましたね。このとき、知念と再会して。”オーディションで会ったよね!”って話をして、一気に距離が縮まって。でも、ツアー中だけのユニットだろうなって意識でした。そうしたら、アニメのオープニングとエンディングのCDを出すことになって。Jr.のコンサートにも”Hey!Say!”って文字が入ったりして」

—うれしかったんじゃない?

「うれしかったけど、すごく複雑でした。J.J.Expressがなくなったわけじゃないのに、Hey!Say!7として活動して。Ya-Ya-yahやキスマイ、A.B.C.とかを押しのけるようにめっちゃ前で踊ったりして。うん。すごく複雑でしたね」

—たしかに、それは複雑だね

「俺、(八乙女)光くんと仲よくて、ずっといっしょにいたんですけど、Hey!Say!7ができたとき、ちょっとギクシャクして。光くんの気持ち、すっごいわかって。あんだけがんばってんのに、新しいユニットに自分が入ってない。おもしろくないよなって」

—その後、Hey!Say!JUMPが結成される経緯って?

「俺と高木は、社長に言われたことがあったんですよ。”Hey!Say!7をベースに、新しいグループを作りたいんだけど、年上ふたり、有岡と高木の力が足りない”って」

—それ言われて、どう思ったの?

「ショックでしたね。自分でわかってたんです。力が足りないって自覚あったんで。周囲からもそう映ってたんだなって」

—その新しいグループが、Hey!Say!JUMPだったんだ

「たぶん、そうですね。最初、雑誌の取材って急に連絡が来て。スタジオに行ったら、薮くんとか、光くん、(岡本)圭人とかもいて。”なんだろうこのメンバー?もしかして、あのことかな……”って。マネージャーさんには、”わかるよね?ちゃんと自覚持てよ”って言われたし」

—初顔合わせのとき、メンバーを見てどう思った?

「ホントになんだろう、未知数だな、すごく可能性を秘めてるなって思いましたね。なんかワクワクしたのおぼえてます」

—八乙女くん、薮くんが入ったことは、どう感じた?

「心強かったです。ずっと憧れだった、ふたりだから」

—なるほど

「でも、”まだ正式に決まったわけじゃないから、絶対秘密にして”ってこともマネージャーさんに言われて。なんか、ものすごい爆弾抱えたなみたいな。J.J.Expressのメンバーで、ここにいないメンバーもいるわけで。ずっといっしょにやってきたメンバーに状況を言えず、親にも言えず、苦しさもありましたね」

 

常にアウェーだった、俺ら。どこ行っても

—Hey!Say!JUMP結成当初のインタビューで「セブンとベストの架け橋になりたい」って、よく話してたよね?

「年令も、キャリアも、かなりちがって。全然話したことのないメンバー同士も、中にはいたから。ギクシャクしそうだなって、最初はすごく感じて。俺が真ん中に入ってなんとかしなきゃって。”何か話しなよ”みたいなことはしてないんですけど、何人かでメシ行ったりとか、遊びに行ったり、そういうことはしてましたね」

—デビューコンサートがいきなり東京ドーム。史上最年少公演記録だったよね。何かおぼえてることってある?

「いや、何もおぼえてないんです。ホント、がむしゃらで。楽しんでいたのは、確かなんですけど。心に余裕がなかったです。ただ……」

—ただ?

「自分の想像、イメージしてた理想のドームの姿と、ちょっとちがう感じがして。キスマイやA.B.C.も出てくれて、本当にありがたいなって思ったんですけど、俺たちの力だけじゃ、まだ成立しないってのが悔しくて」

—そうだったんだ。キスマイやA.B.C.を追い越す形でのデビュー、心苦しさもあった?

「ありましたね。Jr.時代の仲間が僕たちのバックに呼ばれるわけです。”ありがとう”なんてイヤミに聞こえるだろうから言えない。”ごめん”なんて、もっと言えない。すべての言葉を、飲み込むしかなくて」

—つらいね

「表情の微妙なちがいとか、ずっといっしょにやってきたからわかるんです。”なんで、こいつらのバックしなきゃいけねーんだよ”みたいなこと思ってるなって。自意識過剰だったのかもしれないけど。そういう表情見るの、すごくつらかったです。心置きなく話せるようになったのは、ホント最近ですから」

—ずっと、孤独だったんだ

「俺らのデビュー後、Jr.同士の結束力が強くなったり、先輩と仲良くなってたり、かわいがってもらってたりするのも、すごくうらやましかったですね。Jr.は、滝沢(秀明)くんといっしょに舞台をやったり、インターネットで『滝CHANnel』をやったりしてたから。いつの間にか、先輩からイジられるようになってたりするのを見てると、すごい虚しさも感じたし」

—苦しかったんだね

「ずっとアウェーな感じしてましたね。うん。常にアウェーだった、俺ら。どこ行っても」

—ホームがなかったんだ

「でも、俺は、キスマイとかA.B.C-Zのほうがもっと大変な思いしてるって感じてたから。俺、この10000字インタビュー、毎月楽しみにしてるんですけど、読むと改めてそれを感じたし」

—先頭を走るランナーの孤独じゃないけど、いろんな想いを背負いながら走ってたんだね

「トントン拍子にすべてが進んだから、エリートみたいに言われたりもしたけど……。それも、すごいコンプレックスというか、ね。引っかかる部分があって」

—ただ、やらなければいけないことは、目の前に山積みだったよね

「正直、何をどうがんばればいいとか、わかんなくて。ただひたすらがんばるしかない。怒濤でしたね」

—支えになったのは?

「ファンの人たち。2009年のツアーの最終が、東京ドームだったんです。今度は単独で、お客さん、すごく入ってくれて。その景色が、”あ、これだ。これが、ずっと思い描いてたドームの姿だ”って。こんなに、俺たちを支えてくれる人たちがいるって。最後のMCで、ひとりが泣き始めたら、我慢できなくなって、みんな泣いちゃって。それまでバラバラだったとこもあるんですけど、あの日、俺たちはグループとしてひとつになれたんだと思います」