2013.12/Myojo『裸の時代』10000字ロングインタビュー:有岡大貴①

 

Jr.時代は「補欠みたい」と感じた。

早すぎるデビューに「常にアウェーだ」と戸惑った。

「何をどうがんばればいいか」わからなくて、苦しんだ日々。

救ってくれたのは大切な仲間たちだった。

 

 

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ひとりだけポーズがちがった、幼稚園時代の集合写真

—小さいころ、どんなコだった?

「ホント、悪ガキ。幼稚園の先生や親に、すごく迷惑もかけたと思う」

—たとえば、どんなことしたの?

「幼稚園では、とりあえず先生のおっぱい触るのが好きだった(笑)」

—ハハハハハハ

「あとは女のコを、よく泣かせちゃったりもして」

—それ、好きだから、ちょっかい出しちゃう系のやつ?

「いや、お気に入りの遊び道具を女のコから取ったりとかして、先生に、”◯◯ちゃんのこと好きだからしちゃったんだよね?”って言われて。”いやー”みたいな感じなんだけど、女のコも、なぜか”そうだったの?だったらいいよ”みたいな展開で」

—かなりヤンチャだったんだ

「幼稚園の卒園アルバムの集合写真も、ひとりだけポーズがちがって。おかっぱ頭だったんですけど、なんか、ベロとか出してるんですよ」

—5コ上の、お兄ちゃんがいるよね。仲はよかった?

「はい。でも、買い物とかいっしょに行くと、僕はずっと大声で歌ってたらしくて。”恥ずかしいからいっしょに外に出たくない”って言われてました」

—どんな歌、歌ってたの?

松田聖子さんの曲とか、よく歌ってましたね」

—じゃあ、そのころ、大きくなったら何になりたかった?

「なりたいもの、コロッコロッ変わってて。ドキュメンタリー番組がすごい好きで、ホストの特集を見たりすると、お母さんに”僕、ホストになる!”って言ったりして。でも、ずっと芸能人にはなりたかったと思います。目立ちたがりだったんで」

—好きだった芸能人っていた?

「香取(慎吾)くん、ずっと好きでしたね」

—小さいころから、芸能界に興味があったんだね

「はい。幼稚園のとき、近所にダンススクールがあったんですよ。仲のいい友だちが通ってて。”僕も!”って、そこに通い始めて。でも入ったら、友だちとはクラスがちがうし、まわりはレオタードの女のコだらけ。すごい、イヤでしたね。でも、そのスクールが、たまたま芸能関係のこともやるとこだったんです」

—そうだったんだ

「最近、お母さんから聞いたんですけど、厳しいスタッフさんから怒られた日の帰り道に、”俺、もっと有名になる!”って、お母さんに半ベソで宣言したらしくて。発想が子どもなんですけど、有名になったら怒られないって思ったらしくて」

—テレビに出たりしてたから、学校ではモテたんじゃない?

「正直、モテ期は小学生でしたね。卒業アルバムの恋人にしたいランキング、1位でしたから」

 

 

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”俺もいつかいなくなるんじゃないか”

—ジャニーズのオーディションを受けたのは12才だよね?

「小6ですね。いっしょのダンススクールに通ってた友だちがJr.に入ったんです。それがジャニーズを意識するきっかけで。元々、ダンスも歌も大好きだったんで、”あんなステージに立ちたいな”って思ったんです。ダメ元で応募しましたね」

—ダメ元だったんだ

「はい。オーディション、知念(侑李)といっしょで。ジャニーさんに、俺と知念が話しかけられて。”今から映画のオーディションはあるから、受けていいか親に確認して”って」

—何のオーディションだったの?

「映画『忍者ハットリくん』のオーディション。香取くんがやるって聞いて、チョーうれしくて。”出てえ!”って思って母ちゃんに興奮気味で電話したら、スクールに籍がある間はダメだよって言われ、すごくショックで」

—そうだったんだ

「俺の横で、知念も電話してたんですけど、知念は”僕、帰る!映画のオーディションなんか受けたくない”って、すごいダダこねてて。俺、ジャニーさんに事情を説明したら”わかった。じゃあスクールが終了したら改めて連絡して”って言われて。俺、ジャニーズでの未来は、もうないだろうなって、落ち込んで」

—その後、どうなったの?

「1年間くらい何もしてなかったんですけど、ハットリくんのCMが流れ出したら知念が出てて。”あんときのコじゃん!”みたいな。スクールもやめてたんで、ジャニーさんに電話したんです。たぶんおぼえてないだろうなって思いながら。そしたらおぼえてくれてて。”明日、NHKに来て”って」

—いきなり言われたんだ

「右も左もわからず、ビクビクしながら行ったら、今のキスマイ(Kis-My-Ft2)たちがローラースケートの練習してたんです。なんにもわかんないから、千賀(健永)くんに、いろいろ聞いて。千賀くん、見た目、すごいチャラそうで怖かったんですけど、やさしく教えてくれて。あと宮っち(宮田俊哉)が、ニコニコしながら”僕の名前知ってる?”って聞いてきて、”ちょっと、わかんないです”って答えたら、”そっか〜。がんばろうね!”って言って去っていきました」

—練習に参加してどうだった?

光GENJIさんの曲を練習して。その日、突然、”J.J.Expressに入れ”って言われたんです」

—トントン拍子だね

「ホント、タイミングがいいって言うか、”えっ!?何?”みたいな感じがずっと続いていく感じでした。でも、最初はJ.J.Expressに入ってるのか入ってないのかよくわかんない状態で。雑誌の撮影とか、呼ばれないときのほうが多かったから。伊野尾(慧)ちゃんと(中島)裕翔とかは呼ばれるのに、俺だけ呼ばれないみたいな。”J.J.Expressだ”って、胸張って言えなかったです。補欠みたいな感じで」

—そのころ、デビューしたいって意識はあった?

「そのときは、ホント、与えられた仕事をこなすことで精いっぱい。J.J.Expressって、メンバーの入れ替えがすごく激しくて。玉森(裕太)が入って、いつの間にかいなくなってたみたいなこともあったし。そういうの目の当たりにしてたんで、”俺もいつかいなくなるんじゃないか”って不安がずっとありましたね。ホント、サバイバルな感じでした。”生き残ってやる!”みたいな」

—その後、高木(雄也)くんも、J.J.Expressに加入

「高木は最初からすごく話しやすくて。自然と仲良くなりましたね。(堂本)光一くんの『Endless SHOCK』に裕翔と高木と3人で出て。高木と毎日プロレスごっこしてから家に帰るのが恒例でした」

—2006年ころからは、山田(涼介)くんも、J.J.Expressといっしょに活動することが多くなったよね

「山田とは、もっと前からすごく仲良くて。仕事の帰りとかよくいっしょに帰ったりしてて。年下だったんですけど、なんか、すごく大人びてて、服もすごいオシャレだし。なんか、常にいっしょにいましたね」

—いっしょに帰ったりするとき、どんなこと話してたの?

「くっだらない話ですよ。仕事の話なんてほぼしなかったですね。思い出した!怖い人たちに、”カッコつけやがって”みたいに絡まれて、ふたりで泣きながら帰ったことありました(笑)」

—そんなこともあったんだ。J.J.Expressは、Jr.のエリート集団ってイメージがあったけど?

「たしかに恵まれてたと思います。……うん。でも、タイミングというか運だけって感じが、ずっとありました。実力がともなってないなって。それが、ずっと引っかかってましたね。ホント、何もできなくて。トークも、歌も、ダンスも全然ダメだったし。振りつけ師さんから、”ジャニーズ史上最悪のグループだ”って、毎日怒られてましたから。『ザ少年倶楽部』のリハでも、Ya-Ya-yah、キスマイ、A.B.C.にすごい迷惑かけてましたね」

—怒られたとき、どんなこと思ってた?

「”いつか見返してやる”って思ってたな。うん。今もそれは思いますね」