2013年をざっくりと自己満足で振り返り

2013年。ざっくり振り返ると就活生だったというのに本当にヲタ充した1年だった。

1月。現場はSexy Zone@大阪からスタート。そして毎週帝劇に通ってJWにどっぷり。しかし有岡担としての2013年初現場では自担が体調不良のため不在。これは私のヲタ人生最大の事件となった。他にも高木くんと裕翔くんも不在でHey!Say!JUMPは6人…1階E列で声を上げることなく泣きながらぽっかり空いた自担の立ち位置をただぼんやりと眺めることしかできなかった一幕。不幸にも自担の立ち位置ゼロズレの席。やりきれない気持ちでいっぱいのスタートだった。しかし無事に千穐楽も終え、Hey!Say!JUMPとしても成長できたであろう怒濤の3ヶ月も終わりを告げた。『金田一少年の事件簿 香港九龍財宝殺人事件』で有岡くん演じる佐木竜二が、予想以上に完成度が高く感動したことも忘れられない。
2月。特に現場もなく平和に終わると思ったらJUMPの全国ツアー発表。オーラスが自分の誕生日と知り手が震えた。
3月。全国ツアーのあれこれに気を取られて忘れそうになったJW感謝祭。水太鼓の見切れが酷過ぎてさすがに呆れた…しかし初めてドームの地上に降り立つことのできた京セラ1日目は本当に良い思い出になった。
4月。就活も山場に入り、全国ツアーがスタートするという実感がまったく持てなかった。静岡初日の前日に最終面接を終えそのまま実家へ。解放感という解放感はなく最後まで忙しなくツアー初日を迎えた。初めて母をJUMPコンに連れて行くことができた初日。UMPから始まらない今回のコンサートのセトリに感動し、声を枯らした。母も楽しんでくれたようで本当によかった。そして4月15日。有岡大貴22歳の誕生日。改めてこの人の存在について考えることができた節目でもあった。その後、初めて青森に遠征し、寒さに凍えながらも1日を過ごしました。不思議な会場構成にも驚かされた。
5月。Sexy Zone→ストフルという現場のダブルヘッダーをこなし、東京広島大阪と怒濤の現場ラッシュ。東京では裕翔担と有岡担との思い出が濃い。この2人は本当にもう何でもありだからどうしようもない。手がつけれないので今回も安定の放置策を取りました。それでも大好きです。広島は昨年同様、夜行バスで片道約13時間かけて遠征。現地滞在時間よりも移動時間の方が長かったけどとても充実していた公演だった。このツアーで初めてバクステから見た景色は本当に綺麗だった。大阪では妹と初めて泊まりがけの遠征。公演後にみんなで飲みに行って山田担のサプライズBD祝いも成功し、酔った有岡担と素面の裕翔担のテンションがMAXで本当にぶっ壊れていた。懐かしい…
6月。初の少クラ収録。この回からまさかの司会が自担ではなくエビセク。さすがに泣きはしなかったけど放心状態と言うか。ここからちょっと少クラを見る度にいろいろ考えてしまったりもした。そして鹿児島初上陸。有岡担のサプライズBD祝い。きっとあの狭い敷地で大声でHBD歌ったもんだからかなり目立っていたでしょう。泣いてしまえばよかったのに。酔っぱらいながら真夜中のコンビニを巡りサタジャニを買い求め、道端でCome On A My Houseを踊り狂ったことはかなりレアである…相当楽しかったらしい。しかし帰りの飛行機が遅れに遅れて6時間空港に缶詰…帰る頃にはげっそりしていた。
7月。長野で八乙女担と山田担と3連番。騒ぎに騒ぎまくった2日間。席運にも恵まれ、近さにも感動。DVD撮りとわかって興奮。そして北海道に初上陸。有岡担と裕翔担2人と4連番→有岡担と2連番。寝不足な上に一杯梅酒を引っ掛けてから会場へ行ったことを今思い出した。全く支障がなかったので忘れていた。裕翔担と有岡担との泊まりは楽しすぎてたまらない。癖になる。そんな有岡担とは5日後にNEWS秩父宮で再会。早すぎる。
8月。フィルフェスがスタート。最初そんなに回数行くつもりなかったのに行きたい人と行ってたら6回も行ってた。何回見ても有岡くんはじめとするHey!Say!JUMPが愛しくてたまらなかった。福岡初上陸。最後列で八乙女担と踊り狂って完全燃焼した公演だった。会場を出てからもテンションが完全におかしかった…謎のLGTE。その日に帰って泊まりからのランチも楽しかった。終始いじられてたことに未だに私は納得いってないからな有岡担2人よ。そして仙台公演。22歳の誕生日。会場でサプライズをしてもらい、不覚にも泣いてしまった。たくさんの人に祝ってもらえて、JUMPのコンサートにも行けて、本当に人生で一番幸せな誕生日だった。NEWS名古屋には妹と母と行き、秩父宮とは違ったアリーナならではの空間を感じた。
9月。JUMPのツアーも一段落し、フィルフェスも終わった。落ち着くかと思いきや、ANOTHERからのNEWS10周年ドームという5月ぶりのダブルヘッダーをかまし、40カラットにもちゃっかり2回入った。自担こそいないもののそれぞれの現場は充実していて楽しかった。
10月。完全なる勢いでチケットを確保し薮担と足を運んだABC座。兆候こそあったものの、ここで見事にSnow Manにハマる2人。ここからJUMPの現場はなかったけどかなり充実していた気がする。もう1回行きたかった。後悔。
11月。現場はゼロ。薮担とBBJを観に行く。映画館がジャニヲタと乃木坂ヲタで埋め尽くされ、歓声が上がるという不思議な空間に驚く。極楽蝶に沸きまくった。結局2回目観に行けなかったのが心残り。DVD-BOX購入を本気で迷う。
12月。Hey!Say!JUMPのメディアラッシュに追われる日々。HDDと闘った1ヶ月。新曲「Ride With Me」のダンスに心躍らされ、何回もリピートした。現場納めとして妹とトニトニ。お目当ての岩本くんが不在だったため、深澤くんを眺めていたら…まあこれは長くなるのでやめよう。

ざっとこんな感じかな?ここには書ききれないこともたくさんあった。本当に充実していた1年だった。ハマりはしないと思っていたJr.にハマり、さらにカオス度を極めてしまったわけだけど楽しいからやめない。かわいいものはかわいい、かっこいいものはかっこいい。アイドルが好きなことに変わりはない。これからも自分らしくいられたらいいな〜と。そして、友達には本当に感謝してもしきれない。言葉では言い表せないけど、ありがとう。関わってくれた人すべてに、ありがとう。

未熟者ですが、2014年もよろしくお願いします。

ポポロ 2013.12 / コンビ研究所『有岡大貴×八乙女光』

 

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コンビ名決定!

『金魚とフン』

有岡「昔、社長によく言われてたね。いつも光くんのあと歩いてたから」

八乙女「『金魚のフンみたいだな』ってね(笑)」

有岡「この関係が逆転することはたぶんないね」

八乙女「俺は末っ子で弟がいないから、大ちゃんがほんとかわいいんだよね」

 

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振り返るといつもキミがいたね!

有岡「初めていっしょに買い物したとき、覚えてる?」

八乙女「最初3人だったけどひとり帰っちゃって、初めて大ちゃんとふたりきりになったんだけど、別にこいつと仲良くねーしなって(笑)でもそこでふたりで買い物して、ぐーっと仲良くなったんだよね」

有岡「俺、あんとき買ったTシャツ今でも持ってるわ」

八乙女「だって中学の頃の思い出を振り返ると、いつも大ちゃんがいるもん。歌の歌詞みたいだよね。『振り返るといつもキミが』みたいな(笑)いたずらとかも超やりまくったし。お風呂でシャンプーしてる最中に冷たい水かけたり(笑)」

有岡「俺、泣いたからね」

八乙女「ヒックって泣く声がお風呂にこだまして、ごめんね、ごめんねって」

有岡「今でもふたりでよく遊ぶよね。この間なんかふたり並んでコインゲームやってるときに『有岡さんと八乙女さんですよね』って気付かれて『はい』って(笑)」

八乙女「握手してくださいって言われて手を出したら、コインで真っ黒(笑)」

有岡「あと最近はJUMPのマジメな話とかもふたりで語り合ったね。バーで」

八乙女「バーで(笑)俺らも大人になったね!」

 

ふたりでロケ番組と芝居やりたい!

有岡「あのときはメンバーそれぞれの話もしたかな」

八乙女「高木はこういうのやりたいみたいとか、山田はこう思ってんだってとか。みんな、俺だと恥ずかしがって言わなかったりするけど、大ちゃんにはよく話すから、その話を聞いた上で、リハ室の雰囲気作ったり『こうしたらいいんじゃない?』とか言ったりすると、歳も上の方だからみんな聞いてくれたり」

有岡「いいバランスだよね。でもそういう面もありつつ、今日も終わったらゲーム!」

八乙女「たぶんJUMPって、仕事に対して強い欲がない時からはじまったからよかったんだと思う。売れなきゃってはじまったら、プライベートの息抜きもうまくできなかったんじゃないかな」

有岡「いい意味で、当時がゆるかったんだろうね」

八乙女「この先、仕事だったら大ちゃんとロケやりたいな。深夜の15分とか」

有岡「俺は光くんと芝居がしたい。全般いけると思うけど、コメディもいいな」

八乙女「それは笑っちゃって芝居できなくなるよ(笑)」



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2013.12/Myojo『裸の時代』10000字ロングインタビュー:有岡大貴④

 

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根拠のない自信、まちがってなかったな

—じゃあ、個人的な分岐点は?

「今年の6月のことなんで最近なんですけど、俺は壁にぶちあたった時期で。他のメンバーは楽器だったり、演技だったり、いろいろ特技がある。”俺なんもねーな”って、ずっと悩んでたんですよ」

—そうなんだ

「何かのきっかけになればと思って、ひとり旅に行こうと思って。知らない土地に行ったら、否が応でも人と話さなきゃいけない。そこから、見える自分ってあるかもしれないって。予定組まずに羽田空港に行って、いちばん最初の便に乗ったんです。それが、たまたま鹿児島行きで。鹿児島に着いたら、屋久島の看板が見えて。屋久島はパワースポットだし、ずっと行ってみたかったんで、そのままフェリーに乗って行ったんです」

—すごい行動力だね

「着いたらもう夜で。宿を探さないとと思って、”空いてますか?”って何軒も回って、ようやく宿が見つかったんですよ。宿の人に、”屋久杉を見に行きたいんです”って言ったら、お弁当を用意してくれて。屋久杉って森の中にあって、片道5時間、往復で10時間かかるんです。”朝の3時には出発しなきゃいけないから、お風呂沸かすから入って寝なさい”って言われて」

—明日に備えたんだ

「人って、すごくあたたかいな、来てよかったなって思って。そしたら、マネージャーさんから電話が来て。俺、ホントに思いつきで来ちゃったんで、旅のことを連絡してなかったんですね。そしたら、”明日、JUMPでミーティングするから、何時にどこどこに来て”って言われて。俺、正直に、”実は今、屋久杉を見に鹿児島に来てるんです”って話して。当然、マネージャーさんはカンカンで、”朝イチで帰ってこい”って」

—屋久杉を見ずに帰ったんだ?

「いや、自分の中でこのまま帰ったら、何も変われないって思って。”どうしても屋久杉を見て帰りたいんで、明日はミーティングに参加できません。ごめんなさい”って、半ば強引に押し通して」

—そうだったんだ

「その電話のあと、メンバーにも説明しなきゃと思って、ひとりひとり、長文のメールを送ったんです。”変わんなきゃと思って、今ひとり旅してる、だから明日はどうしても帰るわけにはいかない、ごめん”って。そのあと、山田には電話したんです。山田だけ、ひとり旅に行くかもっていうのは言ってたんで、”やっぱ、帰ったほうがいいのかな?”って。そしたら、すごく背中を押してくれて。”大丈夫だよ。帰って来なくて。絶対、大ちゃんにとって意味のある旅になると思うから”って言ってくれて。その言葉がすごく嬉しくて、ひとりで泣きましたね」

—うれしいよね

「しかも、電話のあと、あいつからメールが来て。自分の家族と変顔で撮った写真つきで、”楽しんでこいよ!”ってメールを送ってきやがったんですよ。それ見て、また涙が出てきちゃって。そんときのメール、今でも大事に持ってます。宝物です」

—他のメンバーの反応は、どうだった?

「”大丈夫だよ!”ってメールの返信を送ってくれて。あ、でも、返信がないメンバーもいたんですね。それ、すごく怖くて。怒って当然だよなって。だけど、次に会ったとき、”どうだった?”って、すごいやさしい顔で聞いてくれて。嬉しかったですね」

—いいグループだね

「ホント、よき理解者ですね。みんなのこと大好きです」

—すぐに効果は出ないだろうけど、ひとり旅の効果はあった?

「不思議なんですけど、ちょうど屋久島から帰ってきて最初の仕事が『Come On A My House』の歌番組の収録で。それが放送されたとき、いろんな人に、”いつもと顔がちがう。いいよ”って言ってもらえて。効果あったのかなって思いましたね。何より、やっぱ自信がつきました」

—それは、どんな自信?

「屋久島を歩いてる往復10時間、俺、いろいろ考えてて。俺が歩いてきた道、いろんなことがあったし、これからも、いろんなことがあるだろうけど、まちがってなかったなって。JUMPのメンバーで初めて顔合わせしたときに感じたワクワクと、根拠のない自信、まちがってなかったなって。俺たちは、もっともっと前へ進める。早くメンバーに会いたいなって思いながら歩いたんです」

—最後に、Hey!Say!JUMPとして、いちばんうれしかった瞬間、忘れられない景色ってなに?

「いちばんかあ。なんだろうなー。デビューコンサートもそうだし、2回目の東京ドームもそうだし、『SUMMARY』もそうだし。最近だったら『ジャニーズ・ワールド』もそう。そんとき、そんときで、みんなで成し遂げた、大きな仕事をひとつ終えたとき、俺、絶対”集合写真撮ろう”って言うんですよ。またひとつ大きな壁を乗り越えた瞬間だから、”今、写真撮ったら、みんな、今までで、いちばんいい、すっげーいい顔してるんだろうな”って思うんで。集合写真を撮るたびに、毎回毎回、いちばんだと思ってた景色が塗り替えられてく。だから、これからも、いちばん忘れられない瞬間、最高の瞬間を、ドンドンドンドン作ってくんだと思うんです。ファンのみんなと、この9人でいっしょに」

 

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2013.12/Myojo『裸の時代』10000字ロングインタビュー:有岡大貴③

 

 

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”大ちゃんらしくやればいいよ。なんとかなる。大丈夫!”

—個人的に、メンバーに救われたなって思う瞬間ってある?

「いくらでもあります。たとえば、東京ドームシティホールで『SUMMARY』をやったとき、コーナーの司会を初めて任されたんです。ひとりひとりワンちゃんといっしょに芸を披露するコーナーだったんですけど、リハで全然うまくいかなくて。メンバーをまとめるのも大変なのに、犬もまとめるっていう。犬はまったく言うことを聞いてくれないし(笑)」

—ハハハハハ

「本番数日前になっても、全然うまくできなくて。なのに、テレビ番組の収録で抜けなきゃいけなかったりして、リハにも参加できないみたいな。すげー不安で不安で。ひとりで残ってリハしてたら、知念からメールが来て。”大ちゃんらしくやればいいよ。なんとかなる。大丈夫!”って。なんかその言葉で、すごく安心できて。肩に力が入りすぎて、空回りしてる自分に気づいて。いい意味で、もっと力抜いてふだん通りやろう。大事なのは、みんなに楽しんでもらうことだって」

—そんなことがあったんだ

「うん。今の自分のMCのスタンスって、そのとき生まれたって思ってます」

—逆に、他のメンバーが凹んでたり、イライラしてたりするのってわかるもんなの?

「わかります。やっぱり、つらい時期も、楽しい時期もいっしょに過ごしてきたから、わかんのかな」

—凹みやすいのって?

「うーん、山田かもしれないですね。やっぱり、いちばん仕事に対しても、Hey!Say!JUMPに対しても、熱い想いを持ってる男だから。その分、悩むことも多いんだと思う」

—山田くんが悩んでそうだったら、どんな言葉をかけるの?

「そこはもうナチュラルに。何に悩んでるか、だいたい当たってるんで。特別な言葉はいらなくて。ふたりで、カフェに行ってコーヒーとか、テラスで延々とただ黙って飲んでるだけだったりしますね」

—山田くんとは『金田一少年の事件簿』で共演してるよね

「はい」

主題歌は山田くんがひとりで歌った。自分も出てるのに、複雑じゃなかった?

「あー、たしかにJUMPで主題歌を歌えるもんだと思ってましたね。ひとりで歌うことが決まったとき、山田とすごく話し合って。最初、”JUMPでやらせてくださいってお願いしに行こう”なんて話したんです。でも、山田にとってはチャンスなわけで。だから、山田の背中を押すことに決めたんです。あいつ、相当悩んでたから。”俺らのことは心配せずがんばってこい。大きな風穴を開けてきてくれ”って」

—じゃあ、JUMPにとって分岐点になったことって、何だと思う?

「最近なんですけど、アジアツアーのときかな。ツアーができるかもしれないって言われてたんですけど、リハ中に急に呼ばれて、”やらないことになったから。じゃ、リハに戻って”ってだけ言われたんですけど、誰ひとり、その場を動かなくて」

—そんなことがあったんだ

「メンバー全員、ちゃんとわかるように説明してほしかったんで。自分たちの意思を初めて伝えたんです。たぶんJUMPって、デビューしたときは中学生もいて、そのイメージが残ってるんだろうなって。俺らは、今まで全部”はい”って答えてきた。それで、大人の中では、最低限の部分を伝えればいいってイメージがついてたと思うんですよね。だから、そこで初めて抗議して。もう子どもじゃない。何が起こっているか知りたいし、自分たちの意思を持って進んでいきたいって」

—その変化の理由って?

「危機感だと思います」

—危機感があるんだ?

「あるあるあるある。フレッシュさが売りみたいな部分が多少なりともあったのが、キスマイ、A.B.C-Z、Sexy Zoneがデビューして、心のどっかでヤバイって思ったんだと思う」

—キスマイやA.B.C-Zらがデビューして、焦りもあったんだ

「うかうかしてられないなと思いました。でも、いちばんは、嬉しさです。これから、ホントの勝負が始まるんだなって。俺らがデビューしたとき、”なんにもできないのに”って思ったと思うんです。たしかに、当時はそうだった。でも、今はちがうよって。そのときと今じゃ意識も経験も、全然ちがうから。それぞれグループの良さはもちろんある。だけど、なめんなよって。同じステージで競い合えるってのは、すごく嬉しくて」

—さっき、キスマイやA.B.C-Zと『心置きなく話せるようになったのは最近』って言ってたよね。きっかけってあったの?

「きっかけは…。あ、A.B.C-Zとは『ジャニーズ・ワールド』で3ヶ月間いっしょだったっていうのも、すごく大きいと思います。そこまでぶっちゃけた話はしてないけど、いろいろ話せて。そのあと『ザ少年倶楽部』の司会をJUMPがやってるとき、北山(宏光)くんに、声をかけられたんですよ」

—なんて?

「”俺らだったら、司会もっとうまくできるよ。おまえらがんばれよ”って。本音、入ってたと思うんですけど、表情も口調も、イヤミな感じは一切しなくて。ライバルを激励するみたいな感じで。もう余計なこと一切考える必要ない。純粋におたがい高め合えるライバルっていうか」

 

 

2013.12/Myojo『裸の時代』10000字ロングインタビュー:有岡大貴②

 

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年上ふたりの力が足りない

—2007年、有岡くん、高木くん、山田くん、中島くん、知念くんで、期間限定ユニットとしてHey!Say!7が結成されてるよね

「KAT-TUNのコンサートのリハをしてたとき、ジャニーさんに呼ばれて、”ユーたち、Hey!Say!7だから”って言われて。なんか不思議なメンバーだなって思いましたね。このとき、知念と再会して。”オーディションで会ったよね!”って話をして、一気に距離が縮まって。でも、ツアー中だけのユニットだろうなって意識でした。そうしたら、アニメのオープニングとエンディングのCDを出すことになって。Jr.のコンサートにも”Hey!Say!”って文字が入ったりして」

—うれしかったんじゃない?

「うれしかったけど、すごく複雑でした。J.J.Expressがなくなったわけじゃないのに、Hey!Say!7として活動して。Ya-Ya-yahやキスマイ、A.B.C.とかを押しのけるようにめっちゃ前で踊ったりして。うん。すごく複雑でしたね」

—たしかに、それは複雑だね

「俺、(八乙女)光くんと仲よくて、ずっといっしょにいたんですけど、Hey!Say!7ができたとき、ちょっとギクシャクして。光くんの気持ち、すっごいわかって。あんだけがんばってんのに、新しいユニットに自分が入ってない。おもしろくないよなって」

—その後、Hey!Say!JUMPが結成される経緯って?

「俺と高木は、社長に言われたことがあったんですよ。”Hey!Say!7をベースに、新しいグループを作りたいんだけど、年上ふたり、有岡と高木の力が足りない”って」

—それ言われて、どう思ったの?

「ショックでしたね。自分でわかってたんです。力が足りないって自覚あったんで。周囲からもそう映ってたんだなって」

—その新しいグループが、Hey!Say!JUMPだったんだ

「たぶん、そうですね。最初、雑誌の取材って急に連絡が来て。スタジオに行ったら、薮くんとか、光くん、(岡本)圭人とかもいて。”なんだろうこのメンバー?もしかして、あのことかな……”って。マネージャーさんには、”わかるよね?ちゃんと自覚持てよ”って言われたし」

—初顔合わせのとき、メンバーを見てどう思った?

「ホントになんだろう、未知数だな、すごく可能性を秘めてるなって思いましたね。なんかワクワクしたのおぼえてます」

—八乙女くん、薮くんが入ったことは、どう感じた?

「心強かったです。ずっと憧れだった、ふたりだから」

—なるほど

「でも、”まだ正式に決まったわけじゃないから、絶対秘密にして”ってこともマネージャーさんに言われて。なんか、ものすごい爆弾抱えたなみたいな。J.J.Expressのメンバーで、ここにいないメンバーもいるわけで。ずっといっしょにやってきたメンバーに状況を言えず、親にも言えず、苦しさもありましたね」

 

常にアウェーだった、俺ら。どこ行っても

—Hey!Say!JUMP結成当初のインタビューで「セブンとベストの架け橋になりたい」って、よく話してたよね?

「年令も、キャリアも、かなりちがって。全然話したことのないメンバー同士も、中にはいたから。ギクシャクしそうだなって、最初はすごく感じて。俺が真ん中に入ってなんとかしなきゃって。”何か話しなよ”みたいなことはしてないんですけど、何人かでメシ行ったりとか、遊びに行ったり、そういうことはしてましたね」

—デビューコンサートがいきなり東京ドーム。史上最年少公演記録だったよね。何かおぼえてることってある?

「いや、何もおぼえてないんです。ホント、がむしゃらで。楽しんでいたのは、確かなんですけど。心に余裕がなかったです。ただ……」

—ただ?

「自分の想像、イメージしてた理想のドームの姿と、ちょっとちがう感じがして。キスマイやA.B.C.も出てくれて、本当にありがたいなって思ったんですけど、俺たちの力だけじゃ、まだ成立しないってのが悔しくて」

—そうだったんだ。キスマイやA.B.C.を追い越す形でのデビュー、心苦しさもあった?

「ありましたね。Jr.時代の仲間が僕たちのバックに呼ばれるわけです。”ありがとう”なんてイヤミに聞こえるだろうから言えない。”ごめん”なんて、もっと言えない。すべての言葉を、飲み込むしかなくて」

—つらいね

「表情の微妙なちがいとか、ずっといっしょにやってきたからわかるんです。”なんで、こいつらのバックしなきゃいけねーんだよ”みたいなこと思ってるなって。自意識過剰だったのかもしれないけど。そういう表情見るの、すごくつらかったです。心置きなく話せるようになったのは、ホント最近ですから」

—ずっと、孤独だったんだ

「俺らのデビュー後、Jr.同士の結束力が強くなったり、先輩と仲良くなってたり、かわいがってもらってたりするのも、すごくうらやましかったですね。Jr.は、滝沢(秀明)くんといっしょに舞台をやったり、インターネットで『滝CHANnel』をやったりしてたから。いつの間にか、先輩からイジられるようになってたりするのを見てると、すごい虚しさも感じたし」

—苦しかったんだね

「ずっとアウェーな感じしてましたね。うん。常にアウェーだった、俺ら。どこ行っても」

—ホームがなかったんだ

「でも、俺は、キスマイとかA.B.C-Zのほうがもっと大変な思いしてるって感じてたから。俺、この10000字インタビュー、毎月楽しみにしてるんですけど、読むと改めてそれを感じたし」

—先頭を走るランナーの孤独じゃないけど、いろんな想いを背負いながら走ってたんだね

「トントン拍子にすべてが進んだから、エリートみたいに言われたりもしたけど……。それも、すごいコンプレックスというか、ね。引っかかる部分があって」

—ただ、やらなければいけないことは、目の前に山積みだったよね

「正直、何をどうがんばればいいとか、わかんなくて。ただひたすらがんばるしかない。怒濤でしたね」

—支えになったのは?

「ファンの人たち。2009年のツアーの最終が、東京ドームだったんです。今度は単独で、お客さん、すごく入ってくれて。その景色が、”あ、これだ。これが、ずっと思い描いてたドームの姿だ”って。こんなに、俺たちを支えてくれる人たちがいるって。最後のMCで、ひとりが泣き始めたら、我慢できなくなって、みんな泣いちゃって。それまでバラバラだったとこもあるんですけど、あの日、俺たちはグループとしてひとつになれたんだと思います」